童心失せぬ

多趣味女の好きなもの詰め

成瀬は天下を取りにいく/ネタバレ感想

「島崎、わたしはこの夏を西武に捧げようと思う」

2020年、中2の夏休みの始まりに、幼馴染の成瀬がまた変なことを言い出した。コロナ禍に閉店を控える西武大津店に毎日通い、中継に映るというのだが……。M-1に挑戦したかと思えば、自身の髪で長期実験に取り組み、市民憲章は暗記して全うする。
今日も全力で我が道を突き進む成瀬あかりから、きっと誰もが目を離せない。

最初の1、2ページ…いや一行目からこの本好きだ~と思わせてくれて、そのまま半日ぶっ通しで読み切っちゃった。読みやすい、そして面白い。これは人気出るわぁ。

最初は、成瀬!ぶっ飛んでてたまらん 好きだ!そのまま突き進んでくれ!好きだ!!と思いながら読むけど、最後には 島崎~~!!成瀬と!一生仲良くしてくれ!!でも島崎は個人でもとっても素敵だ!!そのままの島崎が好きだ!!!と誰しもがなるな。まさか最後の話が 島崎…お前は光だ…眩しすぎて以下略だと思わなかった。

 

わたしはお笑い、特に漫才が大好きなので、M-1に出場する話 膳所から来ましたがツボすぎた。久々に本読みながらにやにやした。M-1の2004年を神回と言って見てて、分かってるぅ!!と頷いて、アンタッチャブルの真似してる内容の漫才見て、二人の真似してる漫才めっちゃ増えたよな~とまた笑って。

島崎が、漫才やってみたいし、やったら楽しいけど、自発的にやってると周りに思われたくないから渋々付き合ってるってことにして…としていて、その気持ちも分かる、となっていたのに、小説の最後では「わたしはずっと、楽しかったよ」と堂々と成瀬に言う島崎…お前は光だ…眩しすぎて以下略 こんなん泣いちゃうよなあ!島崎ィ!

 

レッツゴーミシガンではまさか恋愛模様見れると思わず、この短期間ですっかり成瀬ファンになったわたし、立ち上がって両手ガッツポーズ。成瀬のこと好きな西浦、あまりにいいヤツ。成瀬の事好きになるヤツ大体友達なので、わたしも西浦ともう友達よ。成瀬変わってるな~気になるな~から、だんだん本気で好きになっていくの、すごく理想の展開で、この短編でやるなんて勿体ない、もっと見たい!でもこの 多分…初恋だった…感がまた良い と思っていたら、次の話で成瀬が西浦にもらったしゃもじ使ってる描写があったので、西浦まだ頑張ってると知ってフルスウィングガッツポーズ不可避。

「恋愛なんて他人事だと思っていたから、好きと言われるのは不思議な気持ちだ」成瀬にこんなかわいい事言わせられるのは、後にも先にも西浦だけだ、誇っていい。

 

こんなにも続編を望んだ本は久しぶり。成瀬だけじゃなくて、周りの人たちも好きになったし、もっと好きになりたいからまだまだ知りたい。もっと見せて!!!読んでてずっと楽しい、ハッピー詰まった一冊。

ぎょらん/ネタバレ感想

亡くした人の残した願いを叶えてあげられた瞬間だけは、再び繋がれる

人が死ぬ際に残す珠「ぎょらん」。それを嚙み潰せば、死者の最期の願いがわかるのだという。地方都市の葬儀会社へ勤める元引きこもり青年・朱鷺は、ある理由から都市伝説めいたこの珠の真相を調べ続けていた。「ぎょらん」をきっかけに交わり始める様々な生。死者への後悔を抱えた彼らに珠は何を告げるのか。
傷ついた魂の再生を圧倒的筆力で描く7編の連作集

久々に町田そのこ作品を読んだけど、ま~~~あこの作者の描く〝不幸な人〟があまりに不幸すぎて、良くこんな不幸を思いついて、書くことが出来るなとビックリする。。自分が少しでもメンタル弱い時に読むと更に持っていかれる。でも元気な時に読んでも落ち込む。読むタイミングが難しいぜ。

 

今回、死がテーマになっている。その中で、残された立場として共感出来た表現がある。

〝私はこの人のいた世界からすっぱりと切り離されてしまった。「死」を前にして残された人が出来るのは、想像することだけ〟

わたし自身、弟を亡くして、その死と向き合い続けている。母は仏壇にお供え物をしたり、毎日お墓参りに行ったりして、未だに弟のために出来る事をしている。でもわたしはそれを見て、弟のためにやっているのであれば、意味がないのになあと少し思ってしまっている部分がある。薄情だなと自分でも思う、でももう弟はこの世にいないし、きっと見守ってもくれていない。そのぐるぐるとした気持ちを表現するのであれば、別の世界に行ってしまった、なんだなと思った。だからと言って、そういう行動を否定する訳では全くもってない。そうすることで、死者と繋がっている気がして、こちらが救われるならそれでいい。

 

タイトルになっているぎょらん。死者が自分の想いを遺すいくらのようなもので、噛み潰すとそれが伝わってくるというものだったが、安易に見つかったり食べたりせずに話が進んでいくことがとても良かったし、最終的にも、ぎょらんを食べて救われる訳ではないのが、読者に優しいなと思った。大事な人を亡くして前を向けない人はきっとたくさんいて、その人達はぎょらんを食べれる訳ではない。でも、自分の被害妄想で苦しんでるのではないか、本当に亡くなったあの人は自分を憎んで死んでいくような人なのか、と、前を向くきっかけをくれる終わり方だと感じた。夢を見せる訳でもないが、それがすごくわたしには沁みた。

 

〝大事な人はいなくなっても、その人を知っている人、その人の記憶を繋いでいる人がいるんです。遠回りになるかもしれないけど、巡り巡っていけば亡くなった人に辿り着けるものなのだ〟

亡くなってもまだ大切な人の事を知ることは出来る。そして、その記憶を大事に繋ぐことだって出来る。悲しい話が多いけど、少し希望を持てる本だった。遺された人たち、どうかみんな幸せに。

ジョー・ブラックをよろしく/ネタバレ感想

わたしと愛し合うのは好き?ピーナッツバターより?

視界いっぱいブラピにして殺してくれ(遺言)

 

何故今まで見たことなかったんだろう…ドンピシャで好みだった。ラブロマンス系だと今まで見た中で一番好きかも…えっ好き…。何でこんなに胸打たれたのか考えてみた。

 

まず何よりジョーというキャラクターが好きすぎる。顔面がブラピ(超好青年Ver.)なのでプラス5兆点。ブラピのための映画と言っても良い、彼のPVはこれです。顔だけじゃなくて肉体も美しすぎて、見てるこっちは鼻血噴き出しながら大笑い大拍手ですどうもありがとうございます。

顔はもちろんなんだけど、ジョーという死神が最高に好き。わたしは無感情なキャラが物語を通して段々感情を持つという展開が大好物オタクなので、無感情死神がひとりの女性とゆっくり恋に落ちて困惑する様なんてこの世の何よりもご馳走な訳なので、

元々愛を知らないから、愛を語るビルに興味を持つ⇒ビルを脅して一緒に行動するようになり、徐々に徐々に感情を抱く⇒娘のスーザンともどかしい感じで恋に落ちていく⇒好きになっちゃったから死神界に連れて帰っちゃおうかな⇒大事にしたい、でも彼女に自分は相応しくない(元の人格の彼と幸せになるべき)と気づき、ひとりで去る⇒別れが寂しい、恋と同時に寂しさを知る

こんなに前菜からデザートまで最高のフルコースがあっていいのか。一連の流れが最高すぎる。ずっと一貫したのんびり、淡々とした喋り方なのに、恋以外にも色んな感情を知るジョーがとても愛おしかった。

 

徐々に感情を知るジョーも良いけれど、仕事人間で忙しいビルが、ジョーに自分の死期を知らされて、それとジョーと一緒にいる事によって、失っていた色々な優しさを取り戻していくのも良い。娘に愛を語る父親なので、元々素敵な人だと思うけど、今まで疎かにしていた家族との食事会を毎日行ったり、娘が開くパーティーに少し前のめりになってみたり、煩わしいはずのジョーに少し心を開いてみたり、自分を会社から追い出すことに加担した義理の息子を許してみたり。死ぬ間際だと自分もこんなに優しくなれるのか考えちゃうね。そして本来はいつ死ぬかなんて分からないんだから、悔いのないように人と接していかないといけないんだ。

死神に付きまとわれてうざったかったはずなのに、どんどん親密になって、最期「別れは辛いだろう?それでいい、生きた証だ。」とジョーに言うビルが格好良すぎる。最後は死神としてではなくて、人間のようにジョーと接していたもんな。最期にそれを認めるビルの格好良さがたまらん。

 

スーザンとジョーの恋愛描写、綺麗すぎて目が焼けた。ただ話としてはとても切ない。元々コーヒーショップで出会った青年の事が好きになったスーザンの前に、同じ人の筈なのに別人格のジョーが表れて、やっぱり嫌なヤツ!と怒るも、新たな人格のジョーとゆっくり恋に落ちて、もう大好きっ!と雷に打たれた時に「コーヒーショップで会った時から好き」という自分の発言によって、ジョーが自分じゃないと気づいて去ってしまう。そしてコーヒーショップの彼が再び帰ってくるも…自分が好きになったもうひとりがいなくなってしまった、という寂寥感が拭えない。。ああ…。

確かにスーザンが最初に好きになったのはコーヒーショップで出会った彼だけど、その後にお互いを知り合って愛し合ったのはジョー自身であること、ちゃんとジョーに知ってほしい。あなたの事がスーザンは大好きだったんだよ。スーザンにどちらを選ぶ?と迫るのはあまりに酷なので、これが正解だったんだろうけど…帰るべき場所に全員帰ったのだから。でもスーザンは、今度は逆に、コーヒーショップの青年の中にジョーを探してしまうよなぁ。は~~~~~っっっこっちの胸まで張り裂けそうだよ!!!

 

息を吐くように名台詞が連発される本作だけど、その中でも特に打たれたのは、ジョーとクインスが話すシーン。アリソンが自分の事を愛しているとどうして分かる?と聞かれたクインスの台詞、「俺の嫌なところを知ってて、それを許してくれるから」確かにな~そうだよな~、と。自分自身欠点が多いけれど、それを知りながらも受け入れて関わりを持ってくれる周囲の人を大切にしようと心から思った、愛してるよみんな。

 

「自分が欲しいから相手を奪う。…それは愛じゃない」愛とは何か、見失った時に見るべき映画がこれ。恋する楽しさ、愛を知る切なさを感じて、自分の周りの人を改めてもう一度愛することが出来る素敵な出会いだった。また会おうね、ジョー。

ベンジャミン・バトン 数奇な人生/ネタバレ感想

 「約束するわ、もう二度と自分を憐れんで泣いたりしない」

一生に一度の出逢い。生涯、心に残る感動作の誕生。それは、80歳で生まれ、年を取るごとに若返っていく数奇な運命の下に生まれた、ベンジャミン・バトンの物語。

 

徐々に若返る不思議な体で産まれ、周りと自分は全然違う。そりゃ内向的にもなるし、堂々と生きることは出来ないかもしれない。それでも、わたしは彼があまり好きになれなかった。というか、女性目線で見て恋愛にうっとりする人いるんだろうか…と思いながら見てた。

 

デイジーが自分の子を孕んで、僕じゃ良い父親になれないってうじうじしてるのはまあ仕方ない。(そんなに自信ないなら避妊をしろという言葉は頑張って飲み込む)結果出産してしばらくした後に、やっぱり自分が父親じゃ駄目だと、大金を置いて夜逃げを決行。でもその途中で目を覚ましたデイジーと目が合って、出た台詞が「僕は消える、君の思い出になる前に」…それを言われたデイジーの顔、正にこれ⇒(゚Д゚)ハァ?

わたしも!わたしもデイジーと全く同じ顔しながら見てたよ!!!自分に酔った状態で最低な行動をするな!!!!!しかもこんな酔いしれたままデイジーと娘の元を去ったのに、デイジーが素敵な人を見つけて新たに家族を築いているのにまた会いに戻ってくるし…はあ…おまえはそういうヤツだよな…って感想しか出ん…。デイジーに会いにニューヨーク行ったときも、デイジーにもう行けと言いながら何度も名残惜しそうに「素敵だったよ!」とか言葉投げかけ続けてたもんな…そういうヤツだよな…。基本的に、別れる選択が最善だって自分で答えだして勝手に去る人物を好きになった試しがない。

 

逆にデイジーはとっても格好良かった。どんどん若返るベンジャミンに対して、自分は皺が増えていき不釣り合いな事を嘆くけど、そんな事言っても仕方ないと「約束するわ、もう二度と自分を憐れんで泣いたりしない」カッコイイ…!!!

逆にベンジャミンも自分がどんどん若くなって、最後には赤ちゃんになることを嘆いたときは「誰だって最後はオムツをするようになるの」は~~かっこいい!結局本当に面倒を見たわけで、とても強い女性だ。だからこそ、ベンジャミンと生きていけると判断して、家族になろうとしたのにね…

 

離れていても子どもに毎年手紙を書いていたのは良かった。それを送れず自分でひっそり保管しているのも素敵だと思った。でもやっぱり基本的にはダメ人間だと思う。ベンジャミンの場合は特殊な環境の中だから仕方ないと思うが、普通に歳を重ねていくのに同じような人がいたら大体はダメ男なので、引っかからないように気を付けましょう。父親に自分も捨てられて悲しい思いをしたっていうのに…ダメやぞ!!!

 

ベンジャミンの人生において、優しくピアノを教えてくれたり、雷に何度も打たれた話をしたり、そういうさりげない日常を彩る人がいてよかった。

オットーという男/ネタバレ感想

果たして亡くなった妻のコートをしまう必要があったのかって話をしたい。

 

オットーは町内イチの嫌われ者でいつもご機嫌斜め。曲がったことが大っ嫌いで、近所を毎日パトロール、ルールを守らない人には説教三昧、挨拶をされても仏頂面、野良猫には八つ当たり、なんとも面倒で近寄りがたい・・・。それが《オットーという男》。 そんな彼が人知れず抱えていた孤独。最愛の妻に先立たれ、仕事もなくした彼は、自らの人生にピリオドを打とうとする。しかし、向かいの家に越してきた家族に邪魔され、死にたくても死ねない。それも一度じゃなく二度、三度も・・・。世間知らずだが、陽気で人懐っこく、お節介な奥さんマリソルは、オットーとは真逆な性格。小さい娘たちの子守や苦手な運転をオットーに平気で頼んでくる。この迷惑一家の出現により “自ら人生をあきらめようとしていた男”の人生は一変していく――。

 

妻との人生がとても幸せだった。故に、妻が亡くなったら世界がモノクロに見える。もう生きる意味がない。と自殺を図るオットー。つらい、心の底から奥さんを愛していたからこその孤独で、何度も涙が出てきた。つらい。結局、そのつらさを乗り越えるのに必要だったのは、新たな繋がりを作ること。わかる、それはわかる。でも、大事に取っておいた妻の私物を箱にしまう必要はあるのか、ないのかって疑問。

もちろん人それぞれだと思うけれど、わたしはそのままでも良かったんじゃないかな、と思う。妻のコートを見てたまに寂しくなる日があってもいいじゃない、自分の人生の大きな部分がぽっかり穴が開いちゃっても、そこに新しいものを詰め込まなくなっていいじゃない、別の部分に新しい大切な場所をしまえばいいじゃない。と思う。でも先ほども言った通り人それぞれだから、マリソルは私物はしまうべきだと思ったし、オットーもそれに納得して行動に移して、結果自殺をやめたんだから良かったよね。

自分だったらどうするかな、と思う。多分私物はそのままにして、何日かに一度それを抱きしめて泣いたりするのかな。でも意外と人って前を向いて生きていけるものだから、そんなに長い間うじうじしている訳でもないかな。そもそもそんな何十年後にも、愛しいって気持ちは続いているんだろうか。そう思うと、オットーは本当に、長い間ずっとずっと愛していたんだなあと余計にジーンとする。

逆にわたしが先に眠りについたらどうだろう。考えるだけでも胸が痛くなるな、健康に気を付けて長生きしよう。

 

マリソルはもちろんだけど、娘二人がとてもかわいかった。好きなシーンは、昔奥さんと二人で行っていたカフェに、オットーがマリソルと一緒に行くところ。人と繋がることで少しずつ前を向けるんだな、と思わせてくれるシーン。年齢や性別、価値観が違っても凍てついた氷を解かすことが出来るんだ。

 

あらすじ読んだだけで、「絶対良い映画!」と思わせれる設定。ずるい。見て、案の定面白い。前向きな気持ちになれるので、大切な人と一緒に見るのにぴったりな一本。

ザリガニの鳴くところ/ネタバレ感想

 カイアは彼のために笑った。以前なら絶対にしなかったことだ。誰かと一緒にいるために、カイアはまたひとつ、自分の一部を手放したのだ。

ノースカロライナ州の湿地で男の死体が発見された。人々は「湿地の少女」に疑いの目を向ける。6歳で、族に見捨てられたときから、カイアはたったひとりで生きなければならなかった。読み書きを教えてくれた少年テイトに恋心を抱くが、彼は大学進学のため彼女を置いて去ってゆく。以来、村の人々に「湿地の少女」と呼ばれ蔑まれながらも、彼女は生き物が自然のままに生きる「ザリガニの鳴くところ」へと思いをはせて静かに暮らしていた。しかしあるとき、村の裕福な青年チェイスが彼女に近づく……みずみずしい自然に抱かれた少女の人生が不審死事件と交錯するとき、物語は予想を超える結末へ──。

 

抱きしめたいな、カイア;;;;

人間の孤独、誰かと繋がりたいという感情をすごく丁寧に紡いでいて、読んでいて何度も胸が寂しさでぎゅっとなる。孤独をこんなにも表現することが出来るのか。人と繋がるために自分を殺して笑ったことがある人、誰かを待って窓から外を見続けたり、耳を澄ませたことがある人にはぜひ読んで、カイアの孤独に寄り添ってほしい。もうみんなでカイアの事を抱きしめに行こうぜ;;;

〝辛いのは、幾度もの拒絶によって自分の人生が決められてきたという現実なのだ〟、「一人で人生を生きなければいけない。わかっていたはずじゃない。人は去っていくものだなんて、ずっと前から知っていたはずよ」…はあ、読むだけでこんなに痛い。こんな風に思ってしまうカイアの心の傷を思うと涙が出てくる、一緒に泣きたい。それでも人と繋がりを求めてしまうカイアに、すごく人間を感じる。人は誰かと繋がりたいと自然に思う生き物なんだよな。

そして、そんなに繋がりを求めているカイアが人を殺すまでに憎むことだってある。自分を蔑ろに扱われるっていうのは、本当に本当に辛いことなんだよ。

 

ミステリー小説だと思っていたんだけど、その要素はおまけ程度なのかな。複雑なトリックも特になく、こじつけでカイアを犯人に仕立てて、流石に無理がある!と終ったけど、実際はその 無理がある方法で必死にカイアが殺したっていう…中々珍しいオチでびっくりしたけど、まあ本編はここじゃないんだなという事で。

 

それよりもヒューマン小説としてとても面白い。カイアという人間、カイアが住んでいる湿地がとても好きになった。湿地や沼地に馴染みがなかったので、調べながら頭の中でたくさん想像しながら、自分も湿地に入り込んでいるような気持になれて、すごい体験を出来た気がする。この小説は、読む絵画のよう。こんなにどっぷり入り込めるんだ、すごい。

 

南アメリカの料理がたくさん出てきて、どれも食べてみたいなあと思っていたのだけど、特に食べたいのが、アライグマのボール。ビスケットのタネに、チョリソーとチェダーチーズを混ぜて焼いたもの、だって!!何それ美味しそう!!!自分のイメージではカリッと焼いた薄いビスケットだったけど、アメリカでいうビスケットって、ケンタッキーで売ってる立体的なパンに近い方のビスケットかな?どっちでも美味しそう、そしてお酒のつまみに最高に良さそうなので、今度作ってみたい!

 

面白かった、カイアに出会えて、寂しいという感情とも自分なりに向き合えた。読んでよかったと思える本だった。叶うのであれば、カイアの住んでいる湿地でカイアを笑顔にしたい。また明日、と言って帰って、また翌日会いに行きたい。会いに行くよ。

真実の行方/ネタバレ感想

「犯罪というものは必ずしも悪人が起こすとは限らない。

わかってやりたいんだ。とても善良な人たちが悪事を働く場合もあるってことを。」

 

冬のシカゴ。大司教が全身を刺されて殺され、青年が逮捕された。事件を担当する野心に満ちた弁護士は、やがて恐るべき“真実”を知るが……全米ベストセラーを映画化したミステリーの秀作。エドワード・ノートンの見事な演技が一躍注目され、映画ファンの注目を集めたことでも有名。クライマックスは誰も予想できない結末が待っている―――。

 

ミステリー小説が好きだと話したらこの映画を薦められたので視聴。確かに好きだけど、好きだけど…!見終わった後の不快感よ…。

刑法第39条心神喪失者の行為は、罰しない。 心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。これってどうなの、と考えさせられる。今回映画として派手に分かりやすく問題視しているけれど、色々な事件見てると常々思う。この刑法によって守られるべき人ももちろん居るけれど、利用している人もたくさんいる訳で、もう少しどうにかならないものか。

 

弁護士マーティンと検事ジャネット両方ともすごく格好良かった。逆転裁判好きとしては、弁護士と検事が敵対したまま絶妙に協力しあいながら真実追求するのがたまらん。マーティンの作戦と知り、自分が負けることになるかもと分かっていながら被疑者の二重人格を引き出そうとするジャネットには目頭が熱くなったし、マーティンのセリフ「有罪判決を受けるまで人は無罪だと信じている。それを信じるのは、人間というものが本来善だと信じているからだ。犯罪というものは必ずしも悪人が起こすとは限らない。わかってやりたいんだ。とても善良な人たちが悪事を働く場合もあるってことを」がもう格好良すぎて痺れた。格好良すぎる。何度でも言う、格好良すぎる!!!どちらもキャラが良い。

 

こんなに熱い弁護士なのに、結局被疑者アーロンは二重人格なんかじゃなくて、それは演技で、猟奇的殺人者を自分の手で無罪にしてしまい釈放。元恋人の検事ジャネットも自分の所為で職を失い…色々苦悩や葛藤して命を懸けて守った被疑者が実は有罪だったなんて。嗚呼こんな終わり方ってないよ。法って何なんだろうな。

 

大司教を殺した動機として、ポルノビデオ撮影の強要が一番だったと思うけど、それは気弱なアーロンだから成立したと思っていて、アーロンは演技で、狂暴なロイが素なのであれば、そんな辱めを指示されたらその場で殺しそうなものだけどな…と思ったり。こういう作戦を練って無罪を勝ち取ってる辺り切れ者なのは確かだけど、今殺したら有罪になるからここは大人しく従ってアダルトビデオ撮影して、後々殺してやる…なんて思うのかな。一般的な思考がロイに当てはまると考えることがまず違うか。

何でロイはリンダまで殺したのか分からずだったのだけど、知恵袋にリンダは親密な仲だったからアーロンという人格は存在しない事を知っているから殺す必要があったと答えを見て、そうなのか~と納得。そんな親密な関係だった人でも平気で殺しちゃう男か。救いようがないな。

 

エドワード・ノートンの二重人格の演技はもちろん素晴らしかったけれど、リチャード・ギアの格好良さの方に惹かれた。良い役だったな。あとグットマン、ちょっと不憫でかわいくて好き、たくさんこき使われてた良いヤツ。

 

中々真相にたどり着けないのに、だれる事なく面白く見れた。謎は解けないけどテンポは良いという不思議。あっと言う間の2時間だった。見終わったあとのこの感情含め、良い作品だったと思う。見てよかった。