童心失せぬ

多趣味女の好きなもの詰め

正欲/感想

自分、もういい加減、死ね。気持ち悪いんだよ、なんでこんななんだよ。なんで世間が言うマイノリティにすら当てはまらないんだよ。そんな人間、もう、いいよ。

自分が想像できる“多様性”だけ礼賛して、秩序整えた気になって、そりゃ気持ちいいよな――。息子が不登校になった検事・啓喜。初めての恋に気づく女子大生・八重子。ひとつの秘密を抱える契約社員・夏月。ある事故死をきっかけに、それぞれの人生が重なり始める。だがその繫がりは、“多様性を尊重する時代”にとって、ひどく不都合なものだった。読む前の自分には戻れない、気迫の長編小説

 

最近何かと話題に上がってくるLGBTQ。自分は頭が柔軟な方だと思っていたところにガツンと殴ってきた一冊だった。多様性とは何か、その人たちへ手を差し伸ばすことは出来るのか、読み終わったあとに色々考えてしまう。

 

本作のテーマとしては、性的マイノリティ。以前読んだ本、「流浪の月」も小児性愛者の苦悩(実際にはまた全然違うのだけど)が描かれていたが、今回は恋愛対象ではなく、がっつり性欲の話になってくるので、善悪の付け方がもっと厳しくなってしまうのだろう。

 

わたし自身が大多数派の人間、いわゆる“普通”なので、性欲の対象が水である人がいるという事はだいぶ驚いた。これもマイノリティ問題に入ることにもっと驚いた。身近な人が打ち明けてきたら驚いた反応をしてしまうと思う。読んでいる時は自分の性癖に苦悩して、死にたがっている心境に、そうだよな、生きづらいよな…と同情したけれど、読み終わって一晩経った今、いや、そんなに死にたがらなくても…?という気持ちになってきた。でもそれは、わたしがそちら側を経験したことがない、“普通”で平和ボケな考えしか出来ないからなのかもしれない。でも“普通”のわたしでさえ、性癖の話をおおっぴろげにする友人なんていないけどな。

話の中で、性癖対象が水なので、友人同士がセックスの話で盛り上がっていると自分とは違うんだと疎外感を持つシーンがあった。この変はLGBTQもそうだと思う。でも、普通の人間でも結構ダメージを喰らう事が多い話題であって、意外とみんな悩んでるんだぞと今では思う。だからこそ、何で人はそんなにセックスの話をするのかという話題で、“誰にも本当の正解がわからないからだ。常に誰かと正解を確かめ合っていないと不安なくらい、輪郭が分からないものだからだ。”というのは面白い、ちょっと納得してしまう解釈だった。

 

なんだけど、受け入れがたいと思ったのは、YOUTUBEで子どもの配信者に「水を使ったあれこれをしてくれ」とリクエストを送って、その動画を見て自分たちの性欲を発散していること。これは普通に駄目だよ。無自覚である子どもの性的搾取は、どんなマイノリティだろうが認めてはいけないと思う。本人たちは子どもに興味はない、水が好きなだけという主張をするかもしれないけど、子どもに出来ることは自分でも出来ることだよ。どこかに「自分が(性的)リクエストをしたことを実行してくれている」という気持ちがあるのでは。自分が親だったら、そういう目から子どもを絶対に守るべきだ。まだまだわたしが知らない世界はいっぱいあって、特にネットは怖い場所だという事に改めて気が付いた。でも実際ネットに救われているところもたくさんあるので、判断が難しい。

わたしが嫌悪感を持ったのはそれくらいなので、自分で水の動画取って後日それを使って性欲発散して、なんて行動は本当に全く問題ないと思う。いわゆるフェチってやつなんて、誰からも同意を求めるものでもないだろうし。ついでに言うと、水に濡れた服を着ている人が性癖というのは別に少数派ではないのでは…と思うよね…そうだろうみんな…

 

何度も出てきた「人と人の繋がり」の大切さ、すごくわかる。実際わたしが誰かを好きになる理由は性欲より「絶対的な自分の味方」が欲しいという気持ちが大きい。これが普通かどうかも今となっては分からないけど。性の話なんて大っぴらにするものじゃないし、する人もあまり得意じゃないけれど、だからこそ小声で打ち明けられる人とは何か特別なものが生まれるのはわかる。特に孤独を感じている時は、大事だよね、繋がり。

 

そしてわたしは八重子が苦手だった。繋がりを避ける大也に対して半ば強引に理解しようとあれこれ引き出すのはおせっかいだと気づいていない事が見ていて恥ずかしくなった。「どんなマイノリティでも理解したいから教えて」というのは、言われた方からしたら大きなお世話だと思う。同じことを今の社会に感じている。LGBTQが問題になっていて、みんなが理解しよう!何か出来ることをしよう!と行動している。決して悪いことではない、ないんだけど、大きなお世話なのではという事の方が大きい。

今回八重子を見て、別に自分と違うことを深くまで理解する必要はないんだと感じた。ただ他人は他人だと深堀せずに、心地よい距離で色んな人と接することが出来たらいい。わたしのちょっと人には言いたくない部分も、無理に人に打ち明けて受け入れてもらう必要はない。でも、言いたくなった時にそばに誰かいてくれたらそれは幸せだな。

 

多数が正義じゃないのでは?自分と異なる少数を排除する必要はないのでは?そう考えるきっかけになる本だった。